もやもやの正体は何だろう?
ブログチャレンジ26日目に、どうしても書くことができなくてとりとめのない未完成なブログを公開しました。
その時の気持ちは、未完成なものを世に出すことに対して『何かもやもや』する…でした。
『嫌だ』でもなくて『恥ずかしい』でもなくて『もやもや』。
とにかくとても居心地が悪い感じ。
なんでこんな気持ちになったのか考えてみました。
今まで私はどんなものでもきちんと完成させたものだけを自分の作品として発表してきました。
世間に発表するからにはそれが当然だと思っていたので、未完成のものを世間に出すなんてことは考えたこともありませんでした。
なので今回の不完全なブログを公開するという出来事は、私にとって全く初めての経験でした。
私は完璧主義なのだと思います。
全てにおいてではないけれど、自分の好きなものに対してだけは完璧主義なのです。
例えば、カレーチャーハンを作る時はご飯の白い部分が無いように、ご飯全体をカレー色にしないと気がすみません。
ご飯に少しでも白い部分があるのは嫌なのです。
当然、日本刺繍もそうです。
基本どおりに綺麗に繍えていないと気がすみません。
なぜ私はそうしないと気がすまないのかなって思いました。
いろいろ考えて思い当たったことがありました。
こうやって完璧を求めて作ったものや作品は、安心して世間に出すことができるのです。
ある一定の基準を満たしているから大丈夫という安心感を得られるのです。
では、私は何のために安心感を求めているのでしょう?
最初から世間に認めてもらえるものを用意して発表すれば安心です。
どう評価されるのかを気にして不安になる必要もありません。
『もやもや』の正体はもしかして『不安』かも!
もしかして私は、人の目を気にして完璧なものを作ろうとしていたのではないのかな?
人からどう見られるのかという不安から逃れるために、「きっちりやらなくちゃ」って完璧さを求めていたのではないのかな…と思いました。
「ゆるめる」ためにはたくさんの引き出しが必要
この『きっちりやること』はある意味とても楽なのです。
『きっちり』の基準を決めてしまえさえすれば、あとはその基準に合わせていけば良いのですから。
でもその楽さは、アイデアを生まれにくくして発展性を止めてしまいます。
だって、『きっちり』という型にはめられて自由がきかなくなってしまうのですもの。
私は今、来年の個展に向けて制作する作品について悩んでいます。
今までの作品と違うものにしたい。
だけどもどこをどう変えればいいのか全然見えてこなかったのです。
でも、そういうことなら少し見えてきたような気がします。
今の私にとって必要なもの。
『きっちり』したものを作らないこと。
どこか抜けているというか、ゆるさのあるものを作ること。
これがヒントになるような気がするのです。
ご飯に白い部分が残っているカレーチャーハンや、中途半端でまとまりのないブログを人様の前に出すことを許せるようになること。
中途半端なものを世に出したっていいじゃないって思えるようになること。
少しゆるめてあげる。
息を抜ける部分を作るような。
首まできっちりとめたボタンをいくつか外してあげるような感じ。
ゆるめるって自由にしていいってことなのだと思います。
そして、今まで『きっちり』の型にはめていろいろなことをしてきた私にとって、自由って難しいことだったのだなって気がつきました。
自由にするにはたくさんの引き出しを持っていないといけない。
私にはこの引き出しの種類が圧倒的に足りないような気がします。
引き出しの種類を増やすためには、今までの自分ではやらなかったようなことを体験していかなければと思います。
そうか〜!これか〜!
未完成のブログを公開すること。
これはまさに、これまでの自分だったらやらなかったことだわ。
最後まで順調にブログを書き続けられてたら、こんな風に考えることってなかったと思います。
ブログが書けなくなって良かったね、私!
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